タマ日和

のら猫レオとの生活を書いていきます。
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11. 母とタマ

母とタマの生活が始まりました。

母は家が無くなり住むところにを追われ、失望の中にいました。

部屋に閉じこもりなんとか神戸の情報を得ようと、ラジオにくぎ付けでした。

直ぐに帰るつもりだったと思います。

一方タマは突然の来客に右往左往、猫は同じ環境が好きということだから、新しい家族をなかなか受け入れないようでした。
母とタマ
それは22年間まったく仲良くなることはありませんでした(笑)

やはりタマにも人間関係で合う合わないがあったのでしょうか?

これからの生活にタマ同様、私も不安になったものでした。
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10. 阪神大震災と母(2)母を迎えに

母は高齢であったため避難所暮らしは耐えられないと、ダンナ様が気を使い、神戸まで迎えに行くことになり、私も子供二人は小さく頼むことにしました。

母はどこにいるのかも分からず、神戸までの交通の便もなく、とりあえず飛行機で大阪まで、そのあと電車が西ノ宮までは行けたが、それから神戸までは歩くということになり、本当に大変なことだったようです。

歩いてる時、ところどころで人が立っていて、飲料水やおにぎりをくれたそうです。

みんなリュックを背負い、建物が倒れて狭くなった道を大勢の人が歩く、異様な空気の中にダンナ様も戦争を知らない自分も、なんかそんな世界を見いだしたようです。

夕方になりようやく芦屋まで来た頃、気がつくとまわりは3人だけ、運よくタクシーが見つかり、3人相乗りしてその日のうちに母のいる所にたどり着いたようです。

母は元気で、避難所でも人の世話をしていたそうです。
母はいつもひょうひょうとして元気な人です。
阪神大震災と母(2)母を迎えに
その日は狭い避難所で足をかがめて寝て、とりあえず私の家につれて帰ることにしました。

本当に天災いつくるかわからず、人間の生活を変えてしまいます。

でも人間も弱くなく、環境の中で生き抜く力を見つけるのでしょう。
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10. 阪神大震災と母(1)

私たち家族にとって忘れもしない阪神大震災、私の母は当時、神戸に住んでいました。

もちろん私も神戸生まれ神戸育ち、22年間いました。

その日、1995年1月17日午前5時46分、私はその日の朝はこんな地震にもかかわらず寝ていたのです。

ある一本の電話、主人の妹さんから「神戸大変なことになってるヨ」。

私はさっそく母に電話しましたが、通じるわけもなくテレビをつけると、なんと私の神戸が無残なことに。

前日まで私と娘二人で母の所に行っていたのです。

それは虫の知らせか私の知っている神戸の最後でした。

そして昼ごろに届いた宅急便。
私が神戸で買った荷物を送ってくれたものです、なんと皮肉なこと。

そして母から連絡がありました。
近くの公衆電話でからで、何時間も待ってかけたとのこと。

「元気だよ、でも家ないよ」。
なんということ、母は小学校にいるとのことでした。

さっそく娘の学校に電話をして、「おばあちゃん元気だよ」と伝えました。
娘はとても心配しながら学校に行ったからです。

母は、家は壊れ、隣の家まで火災がきて、寒い外で不安に見ていたようです。
阪神大震災と母(1)
なんと皮肉なこと、生きるということの過酷さを知りました。

そんなことを知ってか知らずか、タマはその日は一日静かにしていました。
動物はそんな空気を読めるのでしょう。

これから母との暮らしがあることも知ることもなく、タマはゆったりのんびりです。

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